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作品名(そとづら) イラスト・りく姉提供 |
も く じ |
願 願・U 犬になりたい 師?弟?? 三枚目の表彰状 ドレッシング 両端 壁 絆 イチローとピカソ |
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願 |
1月元旦・近くの神社に初詣。 どんなにおいしいお店でも、どんなに欲しい物があっても、 絶対に並ぶ事などしない私だが、今日は我慢した。 神社下の石段から続く人波に身を任せながら考えた。 「今年は私欲を捨てて願をかけよう。」 もともと「願」と「私欲」は別物だが・・・。 500円玉を勢い良く賽銭箱に投げ込んで、 「世界が平和でありますように、ホー○スが優勝出来ますように・・」 石段を降りながら考えた。 「ホー○ス優勝は、私欲??」 「しまった!どちらかひとつにしとけば良かった。二つも願い事をするのなら、 福引代の600円を賽銭に廻しとけば良かった。」 松賞景品の洗剤を小脇に抱えながら神社を後にした。 願をかけるのも難しい。 人の為に願っているようで、人の為に動いているようで “結局、私欲の為だった"と言う事が世の中には結構ある。 私もそうだし、個人的な「願」と「私欲」の穿き違い位ならまだ可愛い。 これが、「国民の為」「世界平和の為」「愛犬家の為」等という、 公的な「願い」からの穿き違いだと大変困る。 年頭に際し、沢山の日本の政治家さんも「国民の為、弱者の為」と称し、 「願」を掛けたに違いない。 世界の警察・アメリカのブッシュさんも、 「Justice & Liberty(正義と自由)」の「願い」のもとに、世界の関心を イラクに向けようと必死だ。 我々犬界各組織のリーダー達も「愛犬家の為に・・」と、 「願い」も新たにお正月を過ごした事だろう。 ただ、多くの「願」の裏に、「私欲」がちらついているような気がしているのは私だけなのか?。 「しまった!各界のリーダー達が『願』の掛け違いをしないように、願をかければ良かった。」 戻る |
願・U |
「自分では処分出来んから、お前が処分してくれ」と手渡された物は 親父の愛用していた煙草セットだった。 煙草と一緒に、すごく大きな孟宗竹の根っ子で作られた灰皿などは 裏庭で焚き火と一緒に燃やしたのを記憶している。 その中に、親父が20代の頃愛用していた、商売用の車のピストンで 作られた記念(廃車後の)の灰皿が含まれていたのだが、 それだけはどうしても捨てきれずにしまって置いた。 後日、兄に使ってくれるように頼んで手渡したように記憶しているが 今まで思い出す事も無いままに年月は過ぎていた。 親父からは愛車(3輪車)にまたがった写真を見せられながら、 その勇姿(3輪車)の自慢話を聞かされていたので、 親父の思い出の一部を捨てるようで忍びなかったのだ。 昭和10年代の話だから、3輪自動車その物が珍しかった時代に、 田舎の道を自家用3輪車に跨って、颯爽と走っていた親父は、 さぞかしかっこ良かったに違いない。 ピストンの灰皿を前に、うまそうに煙草をくゆらしながら 私が生まれる以前の「親父の自慢話?思い出話」を何度も聞かされた。 その時の親父の年齢に遅れる事3年、平成15年1月末日。 とうとう私も「喫煙生活」にお別れする決意をした。 今まで何度も「試みては失敗」の繰り返しだった「禁煙」だが、 今回はある特別の試みをした。 禁煙も「楽しい事の為にすると、成功率が高くなる」と聞き、 ひいき球団の「優勝祈願禁煙」とすることに決めた。 応援仲間と行くキャンプ地訪問が決まった事が、 今回の「禁煙」の大きなきっかけになった。 球団キャンプ地のある高知へは、飛行機で行く事になる。 早速「機内禁煙」。 市内観光などまったく無いキャンプ訪問、当たり前のように、終日球場。 当然、「球場内禁煙」。 最近は“歩き煙草”も中々出来ない。 「・・ならば、いっその事」と言うのが事の始まり。 半分、いやそれ以上・・ 「うまく行くはずが無い」と思いながらの敗戦覚悟の戦いに挑んだつもりだが、 それがなんと、4月に入っても順調に続いている。 家族にいたっては、「辛抱しすぎると体に毒よ、吸えばいいのに・」等と、 “勝ち目の無い戦いなら、早く白旗をあげなさい”と言わんばかり。 ところが、それも良かったようだ。 何度も挑戦した過去は、「体に悪いでしょ」「止めると言ったじゃない」 「月にいくら灰にしてるの」と、挫折に対し罵声が返ってきたのに、 いままで負け続けだった私の戦いに、今回は楽しみながらも期待せず、 しかし家族として暖かく気楽に応援してくれている。 私も家族や周りからのプレッシャーなど全く感じずに、不思議なくらい 平常心でチャレンジ出来ている。 既に今回の「祈願禁煙」は、100%成功すると確信している。 3月28日公式戦開幕!。 我がホー○スは、主砲小久保選手の怪我による「今期出場は絶望」と言う、 つらいハンディを背負ってのスタートとなった。 ホー○スファミリーの一員を自称する者にとって、心中穏やかならぬ所だが、 まずまずのスタートが切れているようだ。 10戦を終えた時点の城島選手の打率にいたっては、5割5分と驚異の数字。 これはもしかして・・、願掛け禁煙効果?・・、 優勝いけるかも?・・。 「いけない、いけない」・・あまり期待しすぎると、罵声を浴びせてしまいそう。 敗戦覚悟で見ていれば、「やってくれたよ、あいつら・・」と言う事になるのかも。 と思いながら、またしても欲が出る。 「禁煙」に金は要らないが、チケット代が掛かってんだぞー。 (愛車に跨った若かりし日の親父・控えめに?背景に使って見ました) 戻る |
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師?弟?? |
1) 「出来なかった事を、叱るのではなく、しなかった事を叱れ。」 「アジリティだってそうだろ!失敗は何度でも許して貰えるが、 拒否は三度で失格だぞ!」 2)「確かに、犬を良く観察しながら歩け。良く見て歩けとは言うよ。」 「しかし、犬を見ながら歩くのではなく、歩きながら犬を見るんだよ。 あくまでも、お前の主張が最優先されなければならないんだぞ。」 3)「嫌い??。嫌いな筈ないだろ。」 「遊びもえさと同じ、遊んでやってるのに、そっぽ向いたら腹を立てろ。 誰に腹を立てるかは、お前が考えろ。」 4)「無理に入れようとするなよ。だから、嫌がるようになるんだよ。」 「ヒールポジションはクレートトレーニングと同じなんだよ。 つまり、安心できる場所の提供って事。」 5)「リードは、お前のぬくもりのある手の一部だろ。」 「ノーリードで何かを教えるのであればそれで良いけど、 ノーリードの練習をノーリードでするなよ。」 6)「うごけ、動け! 動いたら頭が働くようになるから。」 「かんがえろ、考えろ! 考えたら体が動いてくるから。」 「分かってきたら、頭を使って動け!」
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三枚目の表彰状 |
長い事訓練士をしていて、数え切れない位の競技会に出たと言うのに 我家にはたった二枚の表彰状しかない。 競技会の表彰状は、その瞬間を表彰して頂いたものだ・・と言う思いがあり、 現役中は残さない事に決めていた。(もちろんスクール所有犬分のみです) 新たな気持ちで望む為にも、毎年大晦日にすべて消却してきた。 それなら何故二枚が?・・ 一枚は、腰を痛めて競技現役を続けられそうに無くなった時の最後の競技会での表彰状だ。 その年は自分で消却せずにお弟子さんに頼んだのだが、 「どうしても所長の最後の競技会の表彰状だけは、燃やす事が出来ませんでした」と言って 何年かして出してきたもので、その心根が本当に嬉しかった。 あとの一枚は十年ほど前、 ある一頭のゴールデンレトリバー「ゴルト号」の訓練をした時に頂いたものだ。 発行者は小学五年生のオーナー。 ゴルト号の卒業の日に頂いたもので、正確には表彰状ではなく「感謝状」と言う事になる。 オーナーからの感謝状はどんな表彰状よりもうれしい。 少年が立派な青年へ成長した今も、私の部屋の一番目立つ所にその感謝状は飾ってある。 ところが先日、そのゴルト号の訃報が舞い込んだ。 御家族全員の悲しみようは、周りを心配させるほどのものだったようだが、 とりわけ少年の悲しみようは、慰めようの無い状況だったと聞いた。 そして後日、 「ゴルトの四ヶ月間の訓練の日々は、あの子にとって大きな転機の日々になりました」といって、 その頃に書いたオーナー少年の作文のコピーが、ご両親から届けられた。 悲しみとともに、もう二度と頂く事は無いと思っていた表彰状を、 思いがけず頂けた様な気分にもなった。 少年からの三枚目の表彰状を、今回はみなさんにも見て頂きたい気分だ。 (本人の了解を得ていないのですが・・) 直方西小学校 6年 ○藤 ○太 「僕の友だち」 今から紹介する彼は、僕にとって最高の友人である。 彼と僕の付き合いは二年になる。 出あった時の彼の印象は、なんとなくおとなしそうで無口だったので、 あまり気が合いそうに無いと思い、さほど気にも留めていなかったように記憶している。 そのせいか、彼も僕を心の隅に置いていただろうが、 その存在はあまりおおきなものではなかっただろう。 毎日彼と顔を合わすごとに、気持ちのキャッチボールを少しずつ始めるようになったように思う。 それからしばらくして彼は入学する事が決まった。 4ヶ月間の授業を受けるのである。 入学する日が近づくにつれ、だんだんと淋しさが増し、 僕の心の中にここまで彼が深く入りこんでいる事など、今まで気付かなかった自分がそこにいた。 彼が入学後、僕にとってつらい毎日になった。 彼の名を聞くと、目の下に水たまりのような涙がたまる。 そして卒業の日、彼は立派になって帰ってきた。 体はたくましく、目はキラキラと、金髪をなびかせて僕に走り寄って来た。 彼がそばにいると、気が落ち着くし、困っている時すぐになぐさめてくれる。 友だちにも優しくなった。 仲良くすることを教えてくれた。 一緒に遊ぶ楽しさを教えてくれた。 彼の事が大好きなんだけど、どんな言葉で表現していいかわからなかった。 自分で自分がいやになったりする時、天気の時も、雨の時も、心の支えだ。 そのくせ彼は、決して僕をしばりつけたりしない。 美しく光る彼は、宝石よりもきれいだ。 彼の僕に対する気持ちもまた同じかもしれない。 本当の友だちでいてくれてありがとう。 かれと一緒に特別な思い出を作って生きたい。 そう彼は、ゴールデンレトリバー、二才四ヶ月。 名は、ゴルト。「金色」という意味だ。 限りある命の中での全てのめぐり合いに感謝する。 戻る |
ドレッシング(気まぐれ写真館から) |
昨今、問題行動を抱えた犬たちのなんと多いことか。 話しを聞けば・・、 どう考えても 厳しすぎるとは思えない客ばかり。 どう考えても やさしさが足りぬとは思えない客ばかり。 しかし・・良く聞くと・・、 どう考えても 厳しさが足りない客ばかり。 どう考えても やさしさが過ぎてる客ばかり。 わたしの言う厳しさとは 間違いを間違いだと主張する 当たり前の行為のことです。 わたしの言うやさしさは かいしょの無さに繋がらない 理を得たやさしさなのです。 叱れない人がいます。 そんな人は・・、 「誉めてください」と、言い続けなければいけない人です。 誉め上手な人がいます。そんな人のほとんどは・・、 叱り上手です。 厳しさは 多すぎてはだめです。 ほんのちょっぴりです。 やさしさは 少なすぎてはだめです。 たっぷりです。 やさしさがたっぷり入った 「愛」という名のドレッシングの 仕上げに入れる香辛料が厳しさです。 使う時は 必ず振って(混ぜて)お使い下さい。 素材の味が引き立ちます。 さぁー 新鮮で最高の素材が見つかりました。 あなた好みのドレッシングをブレンドしてください。 戻る |
両端 (気まぐれ写真館から) |
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壁 (気まぐれ写真館から) |
・・と言った人がいる。 「人生においての壁も、行く手をさえぎる為にあるのではない。 出口へと導いてくれる為にあるのだ」とも言った。 ただそんな時、壁を肌で感じながら、親しみながら・・・、前へと歩けるだろうか。 「人生に無駄はない」 「無駄と思えるようなことも、どのような困難な試練も、全て必要な事として設定されたもの。 壁は乗り越えられる者にのみ、神が与えた試練」 この言葉を実践して苦難を乗り越え、豊かな人生を送っている方もいる。 そう、そう、本物の迷路ゲームも、 片方の手を壁にあてぜったいに離さずに、壁を感じながら進んだら 必ず、壁が出口へと導いてくれる事を御存知だろうか。 アジリティのスラロームも、初めての犬にとっては、まさしく迷路のようなもの。 ただし、入り口と出口のある単純な障害である事と、壁の存在を教えれば 簡単に覚えてくれる事を、多くのアジリティファンは知っている。 戻る |
絆 (気まぐれ写真館から) |
「ディスクやアジは大好きだけど、オビは嫌いなんです」と言う。 「だから、オビはあまりやらないんです」・・と言う。 「?・?・??・・」 「それって、何かおかしくない?」 「たしかに、ディスクやアジは楽しいさ、いつもハッピーな気分になれるよ」 「相棒に多少の不満はあるけど、少しくらいは我慢しなきゃ・・」 「だって俺たち・、相棒選ぶ事出来ないしさ」 「絆・??」「ディスクやアジの事??」 「本当は、一緒にいるだけでハッピーな気分になれる相棒が欲しいんだけどさ・・」 こんな犬たちの会話が聞こえてきそうな気がしませんか? アジリティやディスクは「絆」を強める為に有効だが、 オビディエンスは、それが本物の「絆」であるかを確かめる時に有効である。 戻る |
イチローとピカソ (気まぐれ写真館から) |
私のような凡人には、その良さのほとんどが解らないピカソの絵も、 基礎習得の時代に描いたデッサンなどを見ると、 素晴らしい写実に感動してしまう。 しっかりした基礎の上に成り立つて崩して?いくのは個性である。 その個性を大衆が認めたとき、それは芸術となる。 2004年10月2日、イチローがダイヤモンドの中に258本目の線を描いた日は、 世界中の野球ファンが、イチローをベースボールアーチストとして認めた 記念すべき日になった。 いつも言ってるけど、「崩れた姿勢と、崩した姿勢は違うんですよ」 その意味くらいは解ってくださいね、生徒さん・・。 天才は生まれついてのものと思っていたが、そうでもないようだ。 イチローもピカソも親子鷹だった事の他に、 「あの子ほど遊びもせずに練習した子はいないだろう」・・チチロー 「私ほどデッサンの練習を積んだものはいないだろう」・・ピカソ ・・と、多くの共通点がある こんな話とは全く無関係ですが、 以前撮った写真をパソコンで遊んでいたら、絵のような写真になってしまいました。 ピカソの目で見るとこんな風に見える事もあるのかな・・。 戻る |