|
|
豊かなことば |
アンディのひとりごとでは、「ことば」と言う文字がやたら登場する。 そのせいか「ことば」については、時折色々と考えをめぐらす事がある。 単語の持つ意味に付いてはもちろんの事だが、カタカナ語やひらがな語あるいは外来語についてなども・・・。 日本人は「豊かなことば」を持つ民族と言われる。 (日本人がそう思っているだけなのかも知れないが。) これは、数多くのことば(単語?)を持ち合わせているという事で、それゆえに繊細な表現法、 つまり、様々な表現テクニックを駆使できると言う事で理解してよいのだろうか? 非文明的な生活をしている人たちは、圧倒的にことばの数が少ないような気がする。 だとしたら、彼らは「豊かなことば」を持ち合わせていない人種と言ってしまっても良いのだろうか? それは、心の内を豊かに表現する事に長けたことばなのか? それとも・・、 心を豊かにさせてくれることばなのか? 私はテレビのドキュメンタリーのような番組を好んで見る。 以前、「世界ウルルン滞在記」(ドキュメンタリー??)で、若い男優さんが裸族に近い一家と寝食を共にし、 彼らの中から何かを学び取ろうと言う番組を見たことがある。 昼夜の温度差が40度以上にもなろうかという、過酷な土地に生きる民との共同生活が進む中のある日、 父親の命令で長男・次男と3人で、放牧地に牛の見まわりに出かけた時の事。仕事が一段落ついた二人は、 新しい兄弟を放牧地の見える小高い丘に誘った。 しばらく無言で景色に見入っていたが、やがて次男(16歳位)が静かに口を開き、将来の夢を語り始める。 「どうだ、すばらしい眺めだろう。」・・・ただ広いだけで、私にはどう見てもただの不毛の地に近い 光景にしか見えなかったのだが・・。 「私の父はこの地で家畜を育て、私たちを育て家族を守ってきてくれた。それに父は私たちにいろんな 事を教えてくれた。そんな父を私は尊敬している。私も父のようにこの地で妻を迎え、たくさんの子供に 囲まれて、幸せに過ごすのが夢なんだ。」 若い男優は、灼熱地獄のようなこの地を、そして父の事を、恥ずかしそうに、しかし自慢気に話す若者を見て、 突然涙を流し始める。 それを見た次男は「どうしたんだ?オレは何か悪い事でも言ったのか?」と、心配する。 男優「イヤ、そうじゃない。私は家族とも離れて生活しているし、今までに、父に尊敬などと言う気持ち で接したことが無い。君の話しを聞いて、自分が情けないし悔しい。」 それを聞いた次男は・・「そうか。じゃー故郷(クニ)帰ったら、たくさん父と話せばいい・・」 それでも涙の止まらぬ男優を見て、それまで黙って二人の話しを聞いていた長男(18歳位)が、 おもむろに口を開いた。 「その涙は悔し涙ではない。新しい事を知った喜びの涙だ。」・・と。 戻る |
見えたよ! |
若いころ、私は乗用馬のトレーナーをしていた事がある。 そのころの話だ。 7月もおわりに近づいたある日、新馬の調教をしていると牧柵の脇に1台の車が止まり 中から5人の子供達と引率の父親らしき男が降りてきて牧柵越しに見学をはじめた。 いつもの事で気にも止めずに仕事を進めていたが、時折聞こえる声や拍手が、妙に間が合っていて、 その上さわやかで実に気持ち良い。 すでに外国人のグループだとは気付いていたのだが、いつのまにか横まで行き馬を止めていた。 少年達は目を輝かせて、「触っても良いか?」と尋ねた。 もちろん「イエス」と答えると、嬉しそうに、しかも慣れた手つきで代わる代わる愛撫をする。 「馬が好きか?」と、答えの決まったような質問をすると、意外にも答えは「ノー」。 こんなに喜んでいるのに妙な奴等だ。何だこの嬉しそうな顔は? 一瞬、不機嫌そうな顔でもしたのだろう、中の一人が慌てて訂正した。 「乗った事があるか?」と聞き間違えたらしい。 いかにもアメちゃんのヤンチャ坊主といった顔に混ざって、一人だけ東洋人の顔をしたアメリカ人だ。 日系3世のケニーと言う少年で、日本語も理解出きるらしい。 聞くと全員が馬に乗った事などなく、こんなに身近で見るのも初めてだと言う。 西部劇の本場、アメリカの少年が馬を見るのが初めてというのも驚きだが、先ほどの 手馴れた愛撫は何故なのか・・? ケニーを通じて話す内にグループの関係が分かってきた。 軍関係の父を持つアメリカンスクールの6年生で、この夏全員帰国するらしい。 帰国すればそれぞれが故郷に帰り、再会するのもままならぬようになる。 何せ広いアメリカ大陸の事だ。 そこで、特に仲の良かった5人組で、先生と一緒に、特別な思い出作りの旅を思い立ったのだと言う。 しばらく話すうち、私は妙にこの少年達に魅力を感じた。 何故なのかは分からない。ただ雰囲気だとしか言いようが無い。 私は先生と子供達に言った。「じゃー、馬に乗せてあげよう。」 歓声を上げながらも、最初は遠慮をしていたが、すぐに体験乗馬会が始まった。 一人10分位の乗馬だが、まるで初体験とは思えぬ程の出来と、私にとっても初対面とは思えぬ程の 楽しい時間が、あっという間に過ぎた。 このまま終わらせてしまうのは惜しいとも思った。 私は今一度みんなに提案した。 「君達の乗馬の出来は素晴らしかった。お陰で私も実に楽しい時間を過ごすことが出来た。 だから私から日本の思い出にビッグなプレゼントをしたい。 この近くに素晴らしい草原と山なみを見渡せる丘がある。 往復2時間位のトレイルライディングになるが、時間に制約の無い旅なら一緒に行って見ないか?」と。 話し合いの結果、私の申し出を受けてくれたが、先生だけは行ける所まで 車で行ってサポート役に回るという。(本当は尻込みしていたような気がしたが・・・) 馬装も整った。 子供達の持ってきたクッキーと、用意した紅茶をサドルバックに詰め、いざ出発。 通訳代わりのケニーを私の後ろに配し、途中、野草の話や足元から突然飛び立つ雉の子育ての 話などをしながら1列縦隊で進む。 「この花々は保護されているのか?」「この土地や自然は誰が管理しているのか?」等、 日本の小学生からは(失礼?)想像も出来ないほどの、話の流れに合った質問が次々に飛んでくる。 ガイドに全く不安を抱かせない、楽しいトレイルライディングが進んでいたが、目的地まで あと10分位という所で、すごい霧が私達を襲ってきた。 振り返ってもケニーを確認するのがやっと、その後ろなどは馬の顔がやっと確認できる位の濃霧だ。 慎重に声を掛け合いながら進み、どうにか無事目的地まで着いた。 霧もその頃には少しおさまってはいたが、以前として視界は30米そこそこ。 川端康成が「波千鳥」で絶賛した、くじゅうの草原は実に素晴らしい。 女性的なうねりのある草原と相まって、それを抱くように九重連山が周りを囲む。 自然採草地(その当時は・・)にもなっている草原は四季折々、その顔を変える。 春は野焼きの黒・夏は緑・秋は黄・冬は雪化粧で白・・と言った具合に。 しかも観光客も入らず、馬でしか来れないこの丘からの眺めは特に絶景だ。 近くで見るとうんざりするようなレストハウスの建物までが、遠目には緑の中に点々と 色をなし、まるで遠い国の風景の様にも見える。 私は必死になってこの素晴らしい日本の風景を説明した。 少しばかりの誇張も交えながら・・・。 ケニーはこの事をみんなに伝える。 「本当に残念だ!」 私はケニーの前で同じ言葉を何度もつぶやいていた。 馬から下りた少年達は、近くにあった岩に肩を寄せ合うように腰を掛け、 持ってきたクッキーと紅茶にとても満足そうだ。 私はと言うと、彼らを前に自慢するはずだった霧の中の景色に目をやりながら、ひとり紅茶を飲んでいた。 英語が苦手な私には、機関銃のように発せられる彼等の話題になど付いていけないし、 自慢の景色がこれでは・・・。 ほんの2,3分だったと思うのだが、しょんぼりしている自分に気がつくと、少年達も同じように 私の見入っていた方向に目を向けていた。 その内リーダーらしき一人が声を掛けると,全員が黙祷をし始めた. 少しばかりの沈黙の後、一人が短く叫んだ。 するとその内また一人が、そして又ひとり・・・。 そんな不思議な光景がしばらく続いた後、全員が目を開け、口々に何かを言い合っている。 時折楽しそうな歓声と拍手まで起こる。 霧の向こうを指差しながら、笑顔で話している子もいた。 私はケニーに尋ねた。「みんな何をしていたんだ?。何を叫んでいたんだ?」と。 するとケニーは、 「アンディがもうすぐ日本を離れる私達の為に素晴らしいプレゼントをくれた。 日本の素晴らしい景色を故郷に持って帰ってくれと、このトレイルライディングを計画してくれた。 霧で少し残念な事になったけど、みんなでアンディの計画を成功させようと話し合ったんだ。」と言う。 少年達は霧の向こうに目をやり、心で景色を見ていたのだと言う。 「見えたよ!。」 「僕もだ!。」 「山の中腹に白い建物が見えたよ!」 コロラド平原には及ばない小さな草原だが、緑のすばらしさや、やさしさは、コロラド以上だと、 かなり誇張して伝えた草原も、彼等には確かに見えたと言う。 そして、「ありがとう」「ありがとう、アンディ」と、握手を求めたり、抱擁してくる子もいる。 「良かった。本当に良かった。この子達を連れてきて本当に良かった。」 湿りかけていた私の心は一転して、まるで感激のドラマのラストシーンの中にでもいるようで、 涙が止まらなかった。 なんと素晴らしい子供達だろう。 「何なのだろう?」 このような素晴らしい心配りが、わずか12,3歳の子供の何処に・・・。 完全に私の心は乱れ言葉を失っていました。 そこにいたのは大人と子供の差も、日本人とアメリカ人の垣根も無い男同士。 2時間足らずの小さな旅で私が得たものは、言葉では表現しがたいものでした。 そして、ビッグなプレゼントを貰ったのは私でした。 「見えたよ!」 あの時の少年達の声は心に焼き付いていて、思い出すと今でも感動で涙がこぼれ落ちそうになります。 あのような感激の涙を、今から先、何度流す事が出きるのだろうか? ・・1974年夏の思いで・・ ※トレイルライディング(馬に乗り、自然を散策する乗馬スタイル) 戻る |
犬と共に・・ |
犬で楽しみたいのなら、見つめられただけで喜びなさい。 犬で楽しみたいのなら、目の前に座っただけで喜びなさい。 リンクでサーキット上で、共に走れるだけで喜びなさい。 結果や成績を楽しもうとすると、苦しむだけです。 犬で楽しみたいのなら、ありのままのあなたでいれば良い。 「あなたがいるだけで楽しいのよ。」・・とやさしく囁いてください。 犬と共に楽しみたいのなら、犬の何倍も走りなさい、動きなさい。 犬と共に楽しみたいのなら、犬の何倍も考えなさい、苦しみなさい。 あなたの難解なコマンドに、怒声に、彼らはその何倍も頭を痛め考えています。 あなたの不可解なハンドシグナルやボディランゲージに、 彼らは何度も何度も走っています、苦しんでいます。 犬と共に楽しみたいのなら、彼らの苦しみも共有しなさい。 苦しみを共有出来たとき、大きな声で、 「犬と共に楽しんでます」・・と言って下さい。 戻る |
愛コンタクト |
20世紀後半は人類が飛躍的に進化した時期となった。 半世紀前まではSFの世界でしかなかった事が次々と現実化した。 はたして21世紀は? 最近テレビで21世紀を予想する番組が数多く見られる。ほとんどの番組で、 IT革命・仮想現実・ロボット化等など、 ハイテク世界の言葉の現実化、遺伝子組変技術によるバイオ食品、はては人造臓器等による 人生200年説まで飛び出す有様。 ところが50年前と違い、この様な予想話しが現実的に聞こえるから不思議だ。 この半世紀で人間は不可能をことごとく可能にし、自身を深めて来た。 そのおごりから来る自然のしっぺ返しが恐ろしい。 20世紀最後の年となった昨年は、ついに癒しの対象としてペットまでが ロボット化して登場し人間を夢中にさせた。 タマゴッチに始まりファービー人形、はてはアイボ君。今後益々ペットロボット達は進化していく事だろう。 愛の形や表現法は人により様々だ。たとえ対象が金属的な光を放つ無機質なものであろうと愛する事は出来る。 絵画や陶器等を愛する様に…。 この様な方達はじっと見つめていると、絵画や陶器が自分に語り掛けてくると言う。 我々の言う所のアイコンタクトが取れるという事なのか? アイコンタクトとは少なくとも愛の始まりである事に間違いは無い。 しかしアイコンタクトが取れてスワレやフセ・コイが出来るだけで満足ならロボットにだって出来る。 つまり一方的な溺愛や命令に服従させ、拘束するだけの事であればロボットにだって出来るという事だ。 だが愛し合う事が出来るかというと話は別だ。 犬は人間と同じ目的に向かって共存し得る、数少ない動物のひとつである。 だから彼らは人間社会で経験する(あるいはさせられる)数々の事象を、彼らの倫理に照らし合わせ理解しようと努める。 だから受け入れ難い要求をつきつけられると、たまには反抗もする。 犬と付き合う上で我々も又、彼等から同じ事を経験させられる。 だがこの様な場合ほとんどが人間側の一方的勝利に終わる。 戦利品は「愛」ではなく「服従心」。 別項で問い掛けた様に、苦しみや喜びを共有し合ってこそ、共に楽しむ事が出来る。 愛コンタクトが取れる。 「愛のある服従心」を得る事が出来る。 我々の愛犬がロボットとは違うと言う事を証明したいのなら、今からはかなり高度な精神で 愛犬と付き合っていく事が必要になってくるだろう。 なぜなら、 「愛とは、お互いを見つめあうことではなく、 ともに同じ方向を見つめることである。−サンテグジュペリ−」・・だからだ。 「オリンピックをエンジョイ(楽しんで)…」と言う言葉を最近の若いスポーツ選手は良く口にする。 我々もまた「ドッグライフをエンジョイ…。」「ドッグスポーツを楽しむ…。」等と口にする。 欧米的な考え方が色んな世界にまで浸透し、日本語の中にカタカナの日本語(?)があふれるほど多くなった。 言葉と共に世界中の素晴らしい考え方を輸入し、日本のものにする事は素晴らしい事だ。 だが、言葉を輸入(?)する時、決してその心を積み残してきてはならない。 以前ある新聞のコラム欄で見た事があるが、世界の一流選手は「…を、楽しみたい。Enjoy」とは言わぬそうだ。 彼らが口にする単語は「enrich」だと言う。enrichには、「…を通じて自らの精神や身体を向上させ 、人生を肥沃なものにしたい。」と言う願いが込められているそうだ。 我々も「ドッグスポーツをエンジョイする」事から、 もう一歩前進して「ドッグスポーツをエンリッチしたい」ものだ。 戻る |
前略 |
|
||
お手紙有難う御座いました。 公演後の残務に追われ、お礼の手紙が遅れましたことをお詫び申し上げます。 お手紙は出演した生徒さん全員に見て頂きました。 貴方のような若い方にまで、私たちの演技が感動を与える事が出来た事を嬉しく思いながらも あらためて責任の重さを感じ取らせて頂きました。 (中略) すでに公演時にアナウンス致しました通り、皆さん普通の愛犬家です。 あのような形で、しかも大勢の方の前で演技をする事など夢にも思っていなかった方達ばかりです。 先日、打ち上げの会を開いたのですがその時も「この中で一度も涙を流すことなく、 順調に育った人は(犬は)いるかなぁ?」と言う事が話題になりました。 あれだけ沢山の生徒の中で一人だけいました。 ・・・と言うより、一人しかいませんでした。 みなさんが一度や二度は放り出したい感情に駆られたり、ひどい方は里子に出す事さえ 考えた方ばかりです。 もともと「しつけ教室」は、しつけがうまくいけば卒業していくのが普通ですから、 それ以上の事をする方は余程犬の魅力に取り付かれた方と言う事がいえると思います。 そしてその魅力に取りつかれた方のほとんどが、普通以上に苦労して、普通の喜びを手に入れた方と いうのも何か考えさせられる気がします。 そして今全員が思っています。「あの時投げ出さずに良かった」・・と。 貴方からのあのようなお手紙を頂けばなお更です。 私のスクールのモットーは 「犬にだけに変わる事を要求するのではなく、 自分自身が変わる事が出来た時、成功は必ずやってくる」です。 生徒の皆さんも自分自身が楽しみながらする事が、つまりはパートナーである愛犬に支持され、 見ている方にまで支持されるのだと言うことをようやく分ってきた様です。 今からも一人でも多くの方に支持されるような犬との付き合いを求めて努力するつもりです。 (後略) 又いつかお会いできる日を楽しみにしています。 戻る |
朝三暮四 |
「私のパートナーは軽いショックを与えただけですごく怯えてしまうんです。」 「じゃー遊んであげたりしているご機嫌な時に"ヨーシ、ヨシ"と 声をかけ軽いショックを与えてみては・・?」 「・・???」 「リードを通じて貴方の喜びをショックで表現するんです。 ショックを叱責の為だけに使うから、貴方の考えを理解しようとする前に心を閉ざしてしまうのでは・・? 何故ならリードは貴方の手の延長であり、そこからは貴方の心のぬくもりをも 伝えなければならないからです。」 「・・???」 「ショックと言う言葉の響きに、貴方自身が嫌悪感を感じているからだと思います。 だから貴方はそのような使い方しか出来ないのです。 ショック(刺激)には、心地よい刺激がある事も感じ取って下さい。」 「・・???」 こんなやり取りは教室ではしょっちゅうの事である。 先日も「直線は私の顔を良く見て、気分良く歩いてくれるのに、コーナーのたびにその気持ちが薄れ、 いつも軽いショックを与えないとコーナーをうまく回れないんです。」と言う生徒さんがいた。 それでは益々コーナーや、ひいては次の動作に悪い影響を与えてしまう。 「では、直線上が気分良く・・なら、その事を大きな声で充分に誉めながら軽いショックを与え、 それからコーナーに入ってみては?」 「・・???」 「少なくともショックをいれる貴方の気持ちは楽になるし、貴方の嬉しそうな表情にパートナーは 益々笑顔を向けてくれるでしょう。その時やさしく「ツケ」と言って曲がって見て下さい。」 「・・???」 まだ始めたばかりで充分な結果は出ていないが…。 またまたコラム欄だ。 つい先日、某新聞のコラム欄に「朝三暮四」と言う言葉が紹介されていた。 中国の宗の国のある方が、サルが大好きでたくさん飼っていた。 エサにはトチの実を与えていたが、増え続けるサルに食費はかさむ一方。 困り果てた飼い主は、猿たちに申し出た。 「今日からトチの実を、朝に三つ、暮に四つ与える事にする。」 するとサルたちは猛反発をした。 困り果てた飼い主は考え抜いた末、ある提案をした。 「悪かった、それでは朝に四つ、暮に三つ与える事にしよう。」・・と。 サルたちはその提案を喜び快く受け入れ、事無きを得た・・と言う話だ。 これは詐欺師を表現する言葉で、先日軽いデフレを発表した日本、ある国の調査機関から "世界一物価の高い国""世界一暮しにくい国"と酷評された日本。 これに対し、言葉の表現法を変えるだけで具体案は示さず、ホコ先だけをかわそうとしている 日本の政治に対する比喩を報じたものだ。 「ある・ある・ある・・。」 私にも結構ある。 ・・と言うより、犬や人に教える時、一見同じ様に見える事柄を、少しだけ考え方を変えて教える事がある。 それは私の訓練のキーワード、「逆もまた真なり」にも通じる。 前述の「ショック」の話もそのひとつだ。 見る人によっては、なんら変わった様子もなく、今まで入れていたショックのタイミングと、 その後のタイミングを比較しても、コンマ何秒の違いしか無くほとんど変わらない。 ショックそのものの強さなどにも変わりは無い。 ただ違うのは、コーナーをうまく曲がらせる為に入れたのか、気分良く曲がらせる為に入れたのかの違いだ。 「・・?????」 “もう言うまい。わたしは詐欺師でいい。” 戻る |
叱ってるのに |
二年前の夏、カラコラムのバトゥーラU峰に出かけたまま帰らぬ人となった甥の三回忌の 折、住職のお話の中に「ことば」に関わる話があった。 博多でも名のある方の盛大な仏式での葬儀の際、三名の方が送辞が述べられたが三名とも送辞の中で 「天国で安らかに…」と言う言葉を使ったと言う。 勘の良い方ならもうお分かりと思うが、仏教では「天国」とは言わず「浄土」と言い、 浄土には「(往)いく」あるいは「(環)帰る」と言う考え方をするのが正しいのだそうだ(往生)。 「叱ってるのに・・」「誉めたのに・・」「教えてるのに・・」 ならば、「分る筈・喜ぶ筈・覚える筈」 「イケナイ」「ヨシヨシ」と言っただけで、叱った気に、誉めた気になってはいませんか? 叱ったら、誉めたら、それが伝わったかどうかを確認するまでが貴方の義務です。 一生懸命叱ったら、誉めたら「もう二度としません・もっと誉めて・ハイ分りました」・・。 必ず、パートナーはそのような顔になります。 一生懸命誉めてるのによそ見をする子より…、 「お利口さんね」とご褒美を上げたのに二つ目をおねだりしない子より…、 誉めたら飛びはねて喜んだり、ご褒美を上げたら「もう一つ・・」と言う顔をする子の方が私は好きです。 先にも話題にしたが、最近アルファシンドロームの犬達が多くて困る。 と言うよりも直接、あるいは電話やメールで相談をする飼い主が多くなった。 そのような飼い主の増えてきた事が困る。 その方達が必ず言うのが、「でも,日頃は良い子なんです」 飼い主を「唸ったり、噛んだり」する子が良い子な筈がない。 アルファシンドローム(権勢症候群)とは、唸ったり、噛んだりする事だけではない。 それは"症候群"の中でも末期的症状で、その前に沢山の初期的症状があった筈だし今でもある筈だ。 「散歩の時必ず前を歩きたがる。リードを咥えて先を急がせる様に歩く。 自分の歩調に合わないとスグに前をさえぎり行く手をふさぐ。」 「外出から帰ると飛びついて喜ぶ」「物(ボール・木切れなど)を咥えて遊びに誘いながらも 決して捕まらない」「話かけても見ようとしない」「ハウスから出してくれ、 食べ物をくれなどの要求鳴き」等など。 「症候群」と言うからには、まだまだ沢山の症状がある筈だ。 我々プロは末期的症状の子を「治す技術」より、初期的症状のある事を、その重大さを、 「予防技術」のある事を認識させる事の方が急務のようだ。 「天国と浄土の違いも教えられていない自分達を恥じなければいけない」と言った住職の様に、 アルファシンドロームの持つ意味の色々を教えきってない私達にも責任があるのかもしれない。 戻る |
法要(人に恩を受けても返そうと思うな!) |
先日から甥の三回忌・兄の初盆・・と続けて法要があった。 亡くなった者が親族や日頃疎遠になりがちな者の縁を再び強く結びつけてくれる時でもある。 パキスタンのバツゥーラU峰に散った甥は、日頃ほとんど話しをしない男だった。 私の家には良く出入りをしていたのだが、冬でも鼻の頭に汗を一杯掻きながら出された食事を黙々と かき込む姿以外はほとんど正体不明の男。 長い付き合いの中でまとまった話しなど一度か二度…。 数少ない話しの一つがチョモランマ登頂を含めた山登りの話。 最終アタックまでの数々の苦労話や、ポーターの作ってくれる英国仕込みの朝の目覚まし紅茶(?)は 絶品だという話。 「山に登ると良く解る。空気は無限では無い」と言う話。 ただ・・「最終アタックで一番の難所をくぐり抜け目にした光景は、この世の物とは思えぬ程神々しく、 まるで仏の里にでも足を踏み入れるかのようで戸惑いを覚えた」・・と、 この時だけは真面目に真剣な顔をして話してくれた。 又「先を急ぐものを拒むかのように時がゆっくり流れているかのように見えた」とも彼は語ってくれた。 1000mクラスの登山がたったの二度(しかもその内の一度は馬の力を借りて)しかない 私には到底理解できない話だ。 偶然にも今日の朝刊に史上最年少で世界七大陸最高峰の登頂に成功した、 東京の石川さんの講演記事が掲載されていた。 講演の中で石川さんもまた「チョモランマ頂上は人の領域ではなく、神の領域であった」と語ったそうだ。 極限の世界に身を置くと、我々凡人には見えぬものが見えてくるのかもしれない。 そう言えば私から見た生前の彼の印象は、まるで修行僧の様でもあった。 彼が生前残してくれた物のひとつに一本のビデオがある。 私の父の生前のビデオや写真を元に編集した「しあわせ宅急便」と題名の付いた亡父のメモリアルビデオだ。 沢山の幸せを残していってくれたおじいちゃんを、いつまでも忘れない様にと 49日の法要に家族や親族に配ったビデオだ。 亡父も又私に沢山の言葉を残してくれたが、その中のひとつに 「必ず出来ると思う必要はないが、出来ないとは思うな。 頭の中から出来ないという言葉を消し去れ」と言うことを聞かされた事がある。 おそらく誰か有名な方が言った言葉の引用だとは思うが…。 先日HPの掲示板に「人に出来て私に出来ない事は無いはず….」と書いてくれたくれた方がいるが、 私もそう思って何事にも取り組んできたつもりだ。 しかし亡父の言った言葉とは少しばかりニュアンスが違うように思う。 久しく忘れていたが、もう一度この言葉の奥の意味を考えてみたいと思う。 いよいよ社会に巣立つと言う若い私にいくつかの人生訓?(家訓といった様に記憶しているのだが・・)を 語ってくれた事もある。 馬耳東風で聞き流していたが、ひとつだけ「人に恩を受けても返そうと思うな」… 違和感のあるこの言葉は一瞬にして頭に焼きついた。 もちろんこの後に「ただし決して忘れるな」と言う言葉が付いたのだが…。 「人に受けた恩は返せるほど軽いものではない。 心に深く受けとめて決して忘れる事の無いようにすれば、どうすべきかはおのずと解る。 それに返そうなどと簡単に思う心が、自らが誰かに何かをしてあげた時「返してもらいたいと言う 偽善の心が入りこむことになる」と言うのだ。 今日も沢山の方の色々な善意に支えられ日々を送っている。 受けた恩は決して忘れる事の無いように心しているが、何をすべきかは未だに分っていない。 もちろんそれを評価するのは自分ではないのだが。 今年の8月も、亡くなった方の残してくれた言葉や幸せを思い出す特別な月になった。 戻る |
明日 |
「明日こそ・・」と思っていると、どうにかなるのに・・ 「明日から・・」と思うと、うまくいかないもんだね。 わたしのあしたはどっちの明日 (相田みつお風に・・・) 戻る |
受身 |
(こんな文を見つけました) 柔道の基本は受身 受身とはころぶ練習 負ける練習 人の前で恥をさらす練習 (相田みつお作品集より) どこにでも当てはめられそうなので・・・ 戻る |
愛犬ジャッカル |
最近、今までに手がけてきた沢山の犬達を思い出す機会があった。 中でも一番思い出に残っている犬は「ジャッカル」と名付けた牡のシェパードで 訓練を始めた初期に手がけた犬だ。 今考えると左程性能に恵まれた犬ではなかったが、全精力を打ちこんで育てた。 とにかく何でも教えた。そして何処にでも連れていった。 本当に家族同様にいつも一緒の時を過ごした。 当時は山奥の観光地に住んでいたので休みの日などは食料やコンロ等を いっぱいに詰めたリュックを子供にも背負わせ野や山に出かけた。 お蔭で喘息持ちだった当時3歳の長女は元気に育った。 もともとジャッカルが一緒にいけない旅行などは計画する事も無かった。 毎日出かける近くの温泉で外に待たせていると「寒いから中に入れてあげたら」と 村人から声を掛けて頂きいつのまにか脱衣場まではフリーパス。 ジャッカルが村民権を与えられたようなものだ。 当時その温泉は女湯と男湯の間に行き来出きる所があり、子供が両親の間を行き来していた。 ジャッカルは「オ〜イ・シャンプー」と声を掛けると女湯に行ってシャンプーを持ってきてくれた。 (歩いて20分程の温泉に行くのに子供連れ。なるべく荷物は少なくしたかったので シャンプーもリンスも1組だけ)ジャッカルはその通路をシャンプーやリンスを咥えて 忙しく何度も往復した。 ある時、馬で遠乗りをした方が途中でイヤリングを落としてきた事がある。 母の形見の大事なイヤリングだと、今にも泣きそうな顔で言う。 草原の中でイヤリングなど見つかるはずが無い。 気休めに「とにかく一緒に探して見ましょうか?」と言ったら、 待ってましたと言わんばかりに・・「お願いします」。 半分、言わなきゃ良かったと思いながらも、雲をつかむような作業を始める事にした。 幸いな事に、トレイルライディングのコースは解っているので、ジープにジャッカルを乗せ、 客の見当をつけた地点から、捜索を開始した。 15分ほど探した道沿いから、ジャッカルが急にコースを外れ、足で何かを掻いている。 ススキを掻き分け確認すると、小さなイヤリングが、迎えに来るのを待っていたかのように光っていた。 その後も客の落とした財布やキーホルダーなどを、次から次に探し出し何度も感謝の言葉を頂いた。 その事を知っている村人からは、警察犬でもないのに行方不明者の捜索依頼までが舞いこんだ。 ある夏の日、家族で長崎に旅行に出かけた。 夕食はウェスタンパブで済ます事に決めた。 食べ物屋に犬を入れる事など出来ないのでマスターの許可を得て、 入り口のテラス風の所に伏せさせていた。 (20数年前に犬の入れる食べ物屋など皆無に等しかった) カントリー音楽を聴きながら楽しんでいると、客の一人が 「マスター〜 外の居るシェパードはどなたの犬?何故あそこに居るの?」と声を掛けてきた。 マスターが説明をすると、その客がパブに居合わせた全員に向かって 「皆さんも見たでしょう・・。あんなに利口な犬なら中に入れてあげてもいいんじゃない?。 あれは家族だよ。マスターあの子に何か食い物作ってやってくれ、 おれの驕りで・・いいでしよう?お客さん?」 他の客から次々と拍手が起きた。 長崎の「カントリーロード」と言うウェスタンパブでの想い出だ。 「素晴らしい犬に巡り合えた。そして沢山の素晴らしい想い出をジャッカルに与えられた。」 沢山の競技会にも参加したが、ジャッカルはいつも一番高い所に私を立たせてくれた。 訓練が職業になってからは、思い出せないくらい沢山の犬達を手がけたが 未だに、この犬を超える犬を作る事が出来ない。 競技会の成績等で比べるならば「ジャッカル」以上の犬達は沢山いたが…。 今つくづく思う。 素晴らしい想い出を残してくれる素晴らしい犬には、ダメなボスでも、左程努力しなくても、 巡り合う事が出来る。 ただし、その犬たちが「素晴らしいボスに巡り合えた。」と言ってくれているだろうか?と 考え直してみると自信が無くなってくる。 「素晴らしいボスとは、どんなボスなのだろうか?」・・と。 ただし「ジャッカル」だけは「素晴らしいボスに巡り合えた。」と 言ってくれているような気がする。 戻る |