WCFO セミナー レポート(1) WCFO 5th International Conference in Colorado |
|
出発!そしてプロスターコンペティション |
福岡空港から成田径由でアメリカンエアーライン機に乗り込みテキサス州ダラス・フォートワース国際空港を目指す。 今回はセミナー受講を目的にチーフインストラクターの安田と生徒さんの佐藤・川崎の同行者3名 ダラスと言えばなんと言っても有名なのは、ジョン・F・ケネディ暗殺事件だが、ハリケーンの影響が残る南部では いまだに治安の悪さが目立つとか・・。 汚名ばかりが先走りするダラスだが、キット良い所もあるに違いない。 ただし今回は通りすがり・・。 目的地デンバーにはダラス空港から国内移動になるので、ここで入管と手荷物受け取りを 済ませなければならないのだが、乗り継ぎ時間が1時間くらいしかない。 同じ空港からの発着なので、どうにかなるだろうと思っていたのだが、ここで早くも最初の試練が待っていた。 早く手荷物を受け取って入管手続きをと思っていた我々は、バッゲージの案内目指して右往左往。 入管が先だとわかった時点で、すでに10分くらいのタイムロスをしていた。 入管手続きゲートに行くと、アメリカ人専用ゲートやファーストクラス専用のゲートは閑散としているのにくらべ、 外国人専用のゲートは3つしかなく長蛇の列。 それに係官や整理の係員の手際が非常に悪い。一向に前に進まない。 デンバー行きの登乗時間は刻々と迫る。 スケジュール表を見ながら慌てている我々。 そんな我々を見て、後ろに並んでいた旅慣れた?日本人の方が、前で整理している係りのおばちゃん?に 「事情を説明して頼んでみたら」と進言してくれた。 同行者で唯一英語のできる佐藤さんが、フライト表を見せながら事情を説明したが、 「みんな同じです、そんな事ダメダメ」とあっさり却下。 日本人氏はスペイン語(だと思う)は堪能らしく、丁度居合わせたスペイン系の空港関係者に事情を説明してくれた。 するとスペイン系の彼は、我々に向かって笑顔で答えてくれた。 「大丈夫!デンバーには1時間おきに飛行機が飛んでいるから・・」 「そんな問題じゃない、デンバーには我々をホテルまで案内する車がWCFOの手配で迎えに来ているはずだ。 行き違いがあったら、日本語通じないんだぞ」心の中で叫びながらも、こわばった笑顔を彼に返した。 ようやく手続きが終わって荷物を受け取り、搭乗手続きのカウンターに急ぐ、すでに出発時間まで10分を切っている。 走ってカウンターを目指す我々に、手荷物係りが声をかけてきた。 「○○便の乗客か?」 「イエス」 「じゃー早く荷物を渡せ、なに??間に合う、間に合う」・・渡した荷物はコンベアの上を一足早く機上へと急ぐ。 カウンターで手荷物のほうを指差しながら、4名分のeチケットを差し出すと、 係員は「大丈夫、問題ないよ」と笑顔を浮かべながら、早速チケットの発行をしてくれた。 「ホッ(汗・汗)良かった」 ところがチケットは「○○便は満席なので、次の便に変更した。次便は約1時間後の出発だよ」という言葉とともに、 にっこり笑って差し出された。 「なんてこっちゃ!」荷物の心配をする我々に、 「荷物の到着場所は違うので、デンバーに着いたら探せばいいよ」・・・・・だって。 |
|
やっと着いた・・ とにかくこのハプニングを相手に伝えなければならない。 次便までの待ち時間の間に、シャトルバスの手配の変更を知らせる手筈をするのだが、電話が一向に通じない。 電話の設定が間違っているのか? 公衆電話を利用するにも硬貨がないのでカードを使用するが、うまく利用できない。 頼りになる我々の通訳?が、近くにいた女性にカードの利用の仕方を聞くと、 相手先の番号と我々の事情を聞き、自分の携帯で連絡を取ってくれた。 シャトルの会社には連絡が取れなかったが、会長のアンナに連絡が取れたようだ。 迎えは我々の到着時間に変更するように手続きしてくれるそうだ。 おまけにその女性は「現地時間の何時に、どこで待てば良いか」まで細かく交渉してくれた。 「サンキュー、サンキュー」 これ位は言える。 4名は精一杯の笑顔で彼女の親切に頭を下げた。 ようやくデンバーに到着した。 広い空港を荒っぽい運転のモノレールで移動して、荷物にもめぐり合えた。 到着ロビーに迎えの人らしき姿はない。 シャトルの発着所に行くとメチャメチャ広い、見ると運転手が2,3名タバコをくゆらせながら談笑している。 指定のシャトル会社の名前を告げ、停車位置を確認すると「そこで待ってろ」と、そばの長椅子を指差し、また仲間と談笑を始める。 疲れきった体と38度の日差しは、椅子に座りくつろぐ事すら拒む。 みんな持ってきたバッグにもたれかかる様にその場に座り込む。 近くにいた乗客は次々と迎えの車に乗り込み出発する。 指定時間を過ぎる事30分、40分、我々の車は一向に来る気配がない。 「またもや、行き違いか」・・・不安がよぎる。 再度、先ほどの運ちゃんに尋ねる。 「心配するな、いつ来るかはわからないが、そこで待っとけばそのうち来る」と、そっけない。 ついに1時間が経過して不安も最高潮に達した頃、ようやく指定会社の名前の入ったシャトルが目に飛び込んできた。 車から降りてきた運転手が、手に持った伝票を見ながら「ミスターアンディ?」大きな声で名前を呼ぶ。 「ああ、やっと着いた」とにかく無事往復の「往」は終わった。 ホテルではカンファレンス第一日目、ジャッジの為の講習会が終わった直後のアンナ会長が、愛犬と共に出迎えてくれた。 「今夜はカンファレンスの講師やジャッジと一緒に夕食を・・」との、お誘いも受けた。 過密な移動スケジュールで、機内食しか食べていなかった私は、 「何が食べたい?」の問いに、一日目にして「日本食」と答えてしまった。 ところで、ダラス空港での親切女性の「現地時間・・云々」を思い出して欲しい。 1時間以上遅れの出迎えに、腹を立てながらホテルに着いた我々だが、 迎えの車が指定時間通りに来てくれていた事を知ったのは、落ち着きを取り戻してからの事だった。 ホテルの部屋の時計には、1時間遅れの時間が表示されている。 確認の為にTVをつけると、これまたとんでもない時間が表示される。 ロビーに確認を取ると、どうやら部屋の時計が正解らしく、機内やダラスに降り立って合わせた我々の時計は、 ダラス時間?を示していたようだ。 夏時間がある事は分かっていたが、ダラスで合わせた時間が間違っているとは・・。 国内移動たったの1時間なのに、狭い日本に住んでいると、こんな事は想像もできない。
|
2日目、K9ドレッサージュ カンファレンス2日目は、プロフェンシーテストから始まった。 JKCでいえば、家庭犬訓練の公開試験のようなものだ。ちょっと退屈(失礼) 開始に先立ち、犬とコンペチターの為の祈りがささげられたのち、アメリカ合衆国国歌を先頭に参加国国歌が流された。 身を正した直立の姿勢には非常に長く感じられたが、異国で聞く「君が代」には格別の思いがした。 続いて行われたK-9ドレッサージュの競技は、普及途上と言う事で、出場者の態度も何となくもどかしく感じられる。 競技規定の詳細については英語ができないため、まだ充分な理解をしていないが、減点に関する細則などには?を 感じる箇所もあり、サンドラの考え方がすべてスタンダードとして取り入れられているように感じた。 この競技そのものが、サンドラが長年?温めてきたものを競技化したものであれば、無理もない話しだが・・。 ただサンドラがこの競技を通して言いたい事を、どれだけ真面目に理解するかに、 今後のアメリカ(WCFO)のFSの浮沈が掛かっているように感じたのは大袈裟なのだろうか。
|
|||||||||
そして、プロスターコンペティション 午後からは「ジュニア・プロスターコンペティション」から「プロスターコンペティション」へと競技は進行する。 FSの盛んなお国とはいえ、ジュニアの部はまだまだエントリー者が少ない。 デンバーに到着した夜「彼女は?年前のジュニアチャンピオンだ」と紹介された女性は、 「お子さんがですか?」と突っ込みたくなるほど老けていたが、今年の全米ジュニアチャンピオンという女の子には、 まだ多少のあどけなさが残っていた。妙に安心する。 以前オランダでの私のセミナーにも参加し、その時のコンペティションで2位だったオランダチャンピオンのナターシャは15歳。 今回、愛犬のダッチシェパードでチャレンジしていたが、1年が経ち一段と大人っぽくなって、同行の誰よりも色っぽい。 技術的にはこの1年でずいぶん進歩しているようで、私が口をすっぱく言い残してきたポジショニングは、かなり改善されていた。 結果は彼女が今回のジュニアプロスターチャンピオンになったのだが、本場アメリカでもジュニアの養成には苦慮しているようだ。 オビディエンスの経験なくしては、即、楽しめない・・といった所がネックなのは、日本と同じのようだ。 アダルトプロスターコンペティションは、今回併催されたコンペの中では、最も作品の質が高かった。 中でも優勝ペアーの作品は、誰もが耳にした事のある馴染み深い映画音楽を使用し、馬に跨ったポーズからの演技開始。 さほど難易度が高いとは思われないようなトリックを、前後の正確で切れの良いヒールワークの中に効果的に配置した構成力、 観客を巻き込む演出力・・と、すべてが揃った素晴らしい作品で優勝にふさわしいものだった。 客観的に分析すれば、彼女たちは何一つ我々の出来ない事をやったわけではない。 やたらと持ち技を並べ立てるのではなく、曲に合ったトリックを、正確で嬉々としたヒールワークの中にシンプルに配置し、 観客の心の中に作品がシルエットとして残るようなルーティンを作り上げていた。 我々が最も理想としていた事を見事に実現した作品といえる。 むしろ高難易度のトリックの数やリンクの有効な使い方では、2位だった佐藤さんのルーティンのほうが勝っていたように思うが、 観客を巻き込んでの演技は、もし私がジャッジをしていても、冷静に分析する余裕を奪われていたかもしれない。 先ごろ行われた英国でのクラフトF・S優勝者(Lesley Neville)のルーティンに似たものを感じた。 彼女はフリースタイル界では新星らしいが、複数の盲導犬センターでトレーナーの指導もしていて 35年のキャリアを持ち、指導で世界中を飛び回っているベテラントレーナーだそうだ。 おまけに馬や海洋獣のトレーナー達にもセミナー等を通じ、強化法などの指導を行っていると聞いた。 アジリティーやオビディエンス競技FSは、あくまでも趣味だというからアメリカらしい。 このように正規のオビディエンスを熟知した方がFS界に進出してくれば、アメリカのFSの質は必ず向上するに違いない。 この夜も会長から「ジャッジや講師陣と一緒に外で食事を・・」と誘われたが、疲れもピークになっていた我々は、 食事をホテルで済ませてゆっくり休養をとる事にした。 |
|
|